
紹介する論文
When deep acting is damaging: Emotional labour and negative emotions in contemporary debt collection
邦題(編集部訳): 深層演技が害となるとき——現代の債権回収における感情労働と負の感情
結論
顧客の困難や怒りに向き合う債権回収の現場では、相手に本気で寄り添う深層演技のほうが、感情を演じ分ける表層演技よりも働き手を消耗させうることが示されました。負の感情を扱う職務では「心から共感するほど良い」とは限りません。共感を推奨する前に、働き手を守る仕組みを先に用意する必要があります。
感情労働の研究では長く、感情を偽る表層演技のほうが有害で、本心から感情をつくり出す深層演技は害が小さいと考えられてきました。この研究は債権回収という職種を深く掘り下げ、その前提が負の感情を扱う場面では成り立たない可能性を示します。顧客の苦境が働き手自身のつらい記憶を呼び起こし、湧き上がった真正な感情がそのまま痛みになっていました。
この論文の要点
- 負の感情を扱う職場では深層演技のほうが働き手を消耗させます
- 顧客の苦境が働き手自身の死別や暴力の記憶を呼び起こしていました
- 従来の定説は前向きな感情を扱う研究に大きく偏っていました
研究の問い
感情労働とは、働き手の感情までもが商売のために使われることを指し、サービスの仕事を理解するうえで欠かせない考え方です。これまでの研究では、本心を偽って表情や態度をつくる表層演技は、本当の気持ちと求められる振る舞いの間に感情の不一致を生むため有害であり、感情そのものを本心からつくり替える深層演技のほうが安全だと考えられてきました。ただしその根拠となった研究の多くは、笑顔や好意といった前向きな感情を扱う職場を対象にしたものです。相手の怒りや苦境と向き合う仕事でも同じことが言えるのか。この研究はそこに疑問を投げかけます。
調べ方
対象は債権回収に携わる働き手です。近づきにくく、これまで研究の光がほとんど当たってこなかった職種として選ばれています。研究チームはその仕事を深く掘り下げて分析し、顧客とのやり取りのなかで働き手が何を感じ、感情をどのように扱っているかを描き出しました。調査人数や期間、実施地域、データ収集の具体的な手順については、抄録では明記されていません。
わかったこと
この研究が捉えたのは、顧客が抱える困難や強い感情の訴えが、働き手自身の過去のつらい出来事の記憶を呼び覚ますという連鎖です。身近な人との死別や暴力といった経験が引き金となり、演じているつもりのない真正な感情が湧き上がっていました。
こうして生まれる深層演技は、従来の想定とは逆向きに働きます。感情労働の研究では、感情を偽る表層演技こそが有害で、心から感情をつくり出す深層演技は負担が小さいとされてきました。しかしその結論は、笑顔や親しみといった前向きな感情を扱う場面の研究にほぼ偏って導かれたものです。
相手の苦しみや怒りという負の感情に向き合う仕事では、本当に感じてしまうことがそのまま働き手のダメージになります。表面を取り繕うほうがむしろ自分を守る働きをする場合がある、というのがこの研究の中心的な主張です。
人事・研修担当への示唆
- 負の感情に向き合う職種では、共感を一律に推奨せず、あえて距離を保つ対応も選べると研修で明示しましょう
- 面談では「うまく対応できたか」だけでなく、顧客の話が自分の過去の経験と重なっていないかを聞き取りましょう
- 業務設計の段階で、死別や暴力に関わる案件の担当を固定せず、交代や一時離脱の選択肢を用意しておきましょう
読むときの注意点
対象は債権回収という特定の職種であり、少数の働き手を深く掘り下げて理解する調査です。調査規模や地域は抄録では明記されていないため、そのまま他の職種に当てはめることはできません。深層演技が常に有害だと示したわけではなく、負の感情を扱う場面では従来の前提が崩れうる、という限定つきの主張として読んでください。
キーワード解説
- 感情労働
- 感情労働とは、仕事上求められる感情を表したり抑えたりすることが、賃金を得るための業務そのものに組み込まれている働き方のことです。
- 深層演技
- 深層演技とは、求められる感情を本心からつくり出そうとし、実際にその気持ちを感じながら相手に接する感情の扱い方のことです。
- 表層演技
- 表層演技とは、内心は別のことを感じながら、表情や声・態度だけを求められるかたちに合わせて振る舞う感情の扱い方のことです。
- 感情の不一致
- 感情の不一致とは、自分が本当に感じている気持ちと、職務上表すことを期待される感情との間にずれが生じている状態のことです。
- 真正な感情
- 真正な感情とは、演じてつくったものではなく、その場の出来事に反応して自然に湧き上がってきた本物の気持ちのことです。
- 共感
- 共感とは、相手の置かれた状況や気持ちを自分のこととして感じ取り、その痛みや不安を理解しようとする心の働きのことです。
- 債権回収
- 債権回収とは、支払いが滞っている相手に連絡を取り、返済の相談や督促を行って未回収の金銭を回収する仕事のことです。
よくある質問
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Q深層演技と表層演技はどちらが有害ですか?
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A扱う感情の種類によって変わります。前向きな感情が中心の仕事では表層演技のほうが負担とされてきましたが、この研究は、相手の苦境や怒りといった負の感情に向き合う仕事では深層演技のほうが働き手を傷つけうると示しています。
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Qなぜ心から共感すると危ないのですか?
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A顧客の抱えるつらい状況や感情の訴えが、働き手自身が過去に経験した死別や暴力の記憶を呼び起こすためです。演技ではない本物の感情が湧き上がり、それがそのまま働き手自身のダメージになっていました。
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Q対応マニュアルはどう見直せばよいですか?
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A「本心から寄り添う」ことを唯一の正解として書かないことが出発点です。相手の感情に飲み込まれないための距離の取り方や、担当を代わる基準を並べて示し、取り繕う対応も守りの手段として認める余地を残しましょう。
原論文のライセンス: cc-by-nc。本記事は原論文の内容を人材論文百科の編集部が独自に読み解いてまとめたもので、抄録や本文の翻訳・転載ではありません。図表は掲載していません。正確な内容は冒頭のDOIから原典をご確認ください。


